<ご挨拶・教授>

2018年

 平成19(2007)年12月1日から、肝胆膵・移植外科(旧第1外科)を担当させて頂き、10年がすぎました。来年(2019年)3月31日に退任します。昨年、この10年余りの当科の歩みを、「技術の定型化、標準化、日常化の重要性:当科における手術標準化のまとめ」と題して同門会誌の顧問でまとめさせて頂きました。 そのはじめの文章で、「ある技術が、たとえ極めて先進的なものであっても、それが特定の人にしかなし得ないものであれば、一般化されることはなく、社会的な意味での技術の革新と発展にはつながりません。手術手技も同様であり、術式や手技を定型化し、標準化し、さらに日常化することで、組織全体で技術の共有が可能となり、これが大きな力となり、手術成績の向上につながります。・・・・ この機会に2002年3月に当科で初めて生体肝移植が導入されて以来、科内で手術に関する標準化をどのような趣旨でおこなってきたかについてまとめてみました。」と述べました。興味のある方は、是非、トップページ右のバナーにある「当科における手術標準化のまとめ(伊佐地):ダウンロード」から、読んで下さい。以下、私の自己紹介とこれまでの歩みを述べます。

 私は名刀「関の孫六」で有名な岐阜県関市の生まれですが、昭和48年(1973)に三重学医学部に入学しました。学生時代は医学部剣道部に所属し(平成22年7月5日に剣道五段を取得。全日本医師剣道連盟所属で現在も剣道を続けています)、4年生の時にクラブの先輩の誘いで鳥羽の神島に肝炎ウイルス住民調査に参加し、その時から肝臓病に興味を持ち、将来は肝臓を専門にしようと思いました。6年生の11月頃、卒後は第1内科の肝臓グループに所属しようと思い、第1内科に入局の申し込みをしました。ところが、年が明けた1月に、同じ肝臓でも外科の方が向いているような気がして,肝胆膵外科で日本をリードされていた水本龍二教授が主宰される第1外科に入局しようと思い、川原田嘉文先生に相談に伺いました。大学前の居酒屋で川原田先生と美酒を頂きながら,先生の海外留学の経験や、外科医の厳しさなどのお話を聞き大変感銘を受け、その場で入局することを決断しました。

 昭和54年(1979)の6月から第1外科病棟で研修を始めました。当時、日本外科学会外科認定医制度が発足し、外科認定医の条件として心臓血管外科、呼吸器外科の研修が必須となったことから、第1外科病棟で6カ月間研修後、胸部外科病棟で6カ月間研修しました。卒後初期に胸部外科で半年間の研修ができたことは、その後の臨床や研究における発想などに影響を与え、現在行っている生体肝移植手技を修得する上でも役立っています。

 卒後2年間の外科初期研修を修了し大学院に入学しました。水本教授から研究テーマとして、肝切除後肝再生のメカニズムについて、当時、発見されて間もないプロスタグランディンの関与を明らかにしてくれないかといわれました。学生時代から肝臓に興味がありましたので、研究テーマが肝再生と聞いてわくわくする気持ちになりました。ところが、実際に研究が始まる前に、もう一度教授にお会いしたところ、研究テーマは肝臓ではなく、急性膵炎の病態生理、特に水本先生が長年取り組んでこられた膵フォスフォリパーゼA2(PLA2)の細胞膜障害機序を明らかにしてほしいといわれました。研究テーマは肝臓から膵臓に変わりましたが、PLA2という酵素に魅せられPLA2を中心とした急性膵炎の病態生理の研究に従事しました。臨床の疑問を基礎的研究により解明することの「面白さ」を、この時初めて教えて頂きました。

 大学院卒業後、水本教授のご高配により、昭和62年(1987)から米国カリフォルニア大学デイビス校外科研究員として、Frey教授の指導の下、急性膵炎における二次感染症の成立機序や,慢性膵炎の新しい手術術式(現在のFrey手術),膵臓移植の研究に従事しました。昭和63年に帰国し、当時、第1外科では肝臓、胆道、膵臓の3つの研究班がありましたが、私は膵臓班のチーフとして急性膵炎、慢性膵炎、膵広範切除後の膵再生や膵癌の研究に従事しました。

 平成6年(1994)に川原田嘉文教授が就任されました。教授は、私が外科臨床の経験が少なすぎることを危惧され、県下で最も手術数の多い山田赤十字病院で経験を積むことを勧められました。病院の医局に泊まり込んだ生活を2年余り続け、様々な外科症例を経験しました。これは私の貴重な財産となっております。平成8年(1996)に大学に戻り、教授から、膵臓だけではなく肝臓や胆道の経験も積むようにいわれ、肝胆膵の手術や、肝切除後肝障害や胆道癌発癌機序などの研究指導にも従事しました。

 平成13年(2001)年12月に上本伸二教授が京都大学から着任され、三重大学に生体肝移植医療を導入されました。生体肝移植には、私が経験してきた肝胆膵外科領域の手技に加えて、血管外科手技の修得が必要であり、研修医に逆戻りして生体肝移植医療の研鑽を積みました。平成18(2006)年4月から上本教授は母校の京都大学にご栄転されましたが、その後も私どもで上本教授からお教え頂いた生体肝移植医療を継続し、平成18(2006)年の10月には生体肝移植100例記念講演会を開催することができました。さらに、2010年7月には脳死肝移植認定施設となり,2010年10月には附属病院に「臓器移植センター(センター長:伊佐地秀司)」が解説されました。2011年6月には第1例目の脳死肝移植を施行し、2017年12月までに4例に脳死移植を施行しいずれも成功しています。2017年12月、現在、肝移植症例は156例(脳死4例を含む)になりました.

 さて、昨今、勤務医不足、なかでも外科勤務医医不足が深刻な状況となっています。外科医には臨床能力の習得に加えて、外科手技の「鍛練」が必要です。「鍛練:discipline with refining」の具体的な期間について、宮本武蔵は五輪書の中で、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とする:Practicing a thousand days is said to be discipline, and practicing ten thousand days is said to be refining」と述べています。手技(技術)を自分のものにするには、千日(約3年)の間「鍛え」、鍛えた技術を万日(約30年)の間「練る」ことが必要であるということです。日本外科学会専門医制度では、卒後初期研修2年後、最低3年間の外科研修を外科専門医の条件としており、武蔵の定義した「鍛」の期間に相当します。この外科専門医取得後(鍛の期間終了後)、「練」の期間に入り、消化器外科や心臓・血管外科などの専門診療科の専門医を取得することになります。このように、外科医が「いわゆる独り立ちできる」までには時間がかかることや、外科勤務医の過酷な労働環境などから、敬遠されるようになっています。平成16年度から導入された卒後2年間の初期臨床研修制度により、研修医は外科医の労働環境の過酷さを実感することになり、これがまた外科医の減少に繋がっていることも指摘されています。

 三重大学でも、平成16年の卒後初期研修制度の導入以来、外科研修医(いわゆる入局者)が減少しています。外科研修医をいかに増やすかが、三重県の外科医療を維持、発展させる上での最重要課題となっています。三重大学では、卒業生の多くが初期研修を附属病院以外の病院で行っていますが、卒業生の約半数は県内の関連病院を選択しています。そこで、当科及び関連病院のご協力により、三重大学第1外科関連病院スタッフ会議を平成20年1月に発足させて、「外科研修医が卒後6年目で外科専門医を取得できるように研修医の修練状況を把握・評価し、必要に応じて研修病院を選定する。」ことができるようにしました。さらに平成30年度(2018)から開始される新専門医制度に向けて,三重県では三重大学医学部附属病院の6つの外科専門診療科(肝胆膵・移植外科、消化管外科、小児外科、心臓・血管外科、呼吸器外科、乳腺外科)が共同して県内1つのプログラム「三重大学医学部附属病院外科専門研修プログラム」を作成しました。これは三重大学が基幹病院となり、これに24の連携病院を含めた研修プログラムで、魅力あるプログラムの作成を行っています。

 当科では、臨床の疑問・問題を解決するために、既成概念にとらわれない基礎的・臨床的研究を基本姿勢にしています。研究の主体は大学院生ですが、大学院入学の時期は外科専門医修得後か、修得の目途がたった時期としています。外科医としての「鍛練」からみて、「鍛」の段階を終了した時期が、研究へのモチベーションが維持できるからです。基礎研究のテーマとしては、肝移植関連の研究を中心にし、肝移植モデルや肝虚血再灌流モデルを用いて、過小グラフト問題の解決などに取り組んでいます。臨床研究では、消化器癌のなかでも予後不良な膵癌・胆道癌に対する効果的な治療戦略の確立を目指しています。すでに膵癌では術前化学放射線療法を併用することにより、治療成績の向上が得られていますが、この療法を胆道癌にも応用しています。研究を推進・展開させるには、基礎系および臨床系講座との連携が必須であり、さらに学外施設との共同研究も進め、世界にエビデンスを発信できる研究を推進するように努めます。

 医学部ならびに附属病院に勤務する医師の責務として、診療・研究・教育の三本柱をバランス良く有機的に構築し、発展させることがあげられますが、教授という立場では、この3本柱に加えて「管理:management & governance」が求められます。四本の柱をしっかりと立てるには、皆様の暖かいご指導ならびにご支援がなければかなえられません。

 アップルの創立者のスティーブ・ジョブス氏が2005年6月12日に行ったスタンフォード大学卒業祝賀スピーチでの言葉、「Stay Hungry, Stay Foolish」を私のみならず教室員の「座右の銘」として精進しますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

<Steve Jobs氏スピーチの最後の部分>

 Stay Hungry. Stay Foolish. 

  ハングリーであれ、馬鹿であれ。

 And I have always wished that for myself. 

  そして、私は、私自身そうありたいと望んできました。

 And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.

  そして今、卒業して新たな人生を始めるにあたって、あなた方にそれを望みたい。

 Stay Hungry. Stay Foolish.

  ハングリーであれ、馬鹿であれ。


 ©Shuji Isaji 2017