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シネ・エデュケーション第6回
「生きる」
シネ・エデュケーション 第6回「生きる」
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 死を意識して生きる、ということを痛切に感じた。健康な私たちは普段、死を意識することは滅多にないし、自分がいつかは死にゆく存在であるということを忘れて生きている。その中で時に漫然と、時に引き締めて生きていくわけだが、作品中で主人公を夜の街に連れ出した人物が、主人公と出会った飲み屋で言っていたように、人間なんて所詮、死を目の前にしなければ生きる意味なんて分かりっこないのかもしれない。だから、致死的な病気と闘う患者さんと向き合う医師にとって、患者さんは自らの生きる意味を求めて苦しんでいるのだから、看護側の人たちとチームを組み、いかに患者さんが死の直前までQOLを保てるか、ということにも、病気の治療と平行して考えていかなければいけないんだと再認した。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 先生が、「病気というのは、<病>1、<気>9、で<気>は看護が担っている」とおっしゃっていたのが印象的だ。今回の映画の主人公は胃癌で、胃癌それ自体は、主人公が不治の病に犯された、ということを印象づけようとしているだけのように思ったが、映画全体として、将来医療人になる私たちに大きなメッセージを与えてくれていると分かった。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 今回、討論の中で様々な感想が出たが、私は討論中で出なかった「がん患者への告知」について考えたい。なぜ、患者は胃癌であるということを言われっ放しになってしまったのか。(正しくは胃潰瘍といわれたのだが。。)なぜ、主人公の家族に連絡がいかなかったのか。主人公は胃癌を宣告され、結局医学的処置は何も受けずに死んだ。最近の日本では、アメリカ式の医学を取り入れてきているが、50年前の映画の時代には、日本の医学はドイツに倣ったものであり、現在とは大きく異なるのではないかと推測した。主人公は、自分の苦しみを自己消化し、自分の力で「生きる意味」を見出して、公園建設に尽力したわけだが、終に家族には自分が胃癌で余命いくばくもないことを伝えられぬままだった。もし、家族への告知が速やかに行われ、主人公が愛息子との別れをしっかりできていたなら、主人公はもっと悔いなき人生が送ることができたと思うし、残された息子夫婦もわだかまりがなくなったのではないかと思う。50年も昔の映画ということもあり、そういった時代背景を考慮すれば、日本の医療も随分患者本位になったのではないかと思う。(同時にまだまだ全然、とも思うが。。。)
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 自分にとっての生きる意味は人それぞれ違うのだから、患者さんも多様な価値観を自ら見出していると思う。飲み屋で会った男が主人公を夜の街に連れ出したように、主人公の元同僚の女が主人公を社交的な場へ連れ出したように、そういった患者さんと触れ合う人間にとっても、価値観は人それぞれなんだろう。私も、色々な患者さんとのコミュニケーションに対応できるようになるため、人間の幅を広げなければならないと感じたし、患者さんとのコミュニケーションに必要な話のネタを多く持たなければ、と思った。そのために、普段から勉強以外の本を読んだり、音楽を聴いたり、運動したり、友人との会話を大切にしたり、と勉強以外のことも積極的に取り組んでいきたいと思う。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 役所の公務員にありがちな事なかれ主義の「ミイラ」のようなある男が、死に直面して、自分の生きがいを見出そうとする姿に感動した。黒澤監督の作品を見たのはこれが初めてだったし、白黒映画の中でも相当見にくい部類のものだったが、面白かった。映画の中で気になる問題点としては、まず告知について。現代でも告知はいいとも悪いともいえない微妙なところだが、患者がそのフレーズを覚えてしまうほどありきたりな嘘は、「貴方は死ぬ」と宣告しているようなものだ。印象深かったのは、後半部に見られる、主人公渡辺の葬式における同僚たちの会話のシーン。あのような形で主人公を描く事は、本人が生きているところを映すよりずっと深く心に響く。葬式における同僚たちの高揚とは裏腹に、その後また役人体質になってしまった彼らの対比が滑稽だった。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 先生が話された内容の中で、主人公渡辺が歌う歌の意義についての見解を聞いた時、なるほどと思った。が、センチメンタルに考えすぎている気がしないでもない。とりあえず「あの歌が好きだった」から選んだのだと思うし、「シーンに適していた」からこそ選んだ、というのには違いない。胃がんの種類についての講義もとても興味深かった。1つ疑問に思ったところ。噴門癌は痛みがなくて幽門癌はある、というようなことを言っていたがナゼ痛みに違いがでるのか??食べ物の胃壁に対する当たり具合の違いなのか、それとも幽門部のほうが感覚受容体が多く集まっているとか…
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 胃がんを軽々しく考えていた事。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 設問3についてなぜこんな風に考えているかというと、「がん細胞」というものが増えるとナゼ体に悪影響を及ぼすのかがあまりよくわかっていないからだ。そこのところをもう少し勉強しようと思う
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 人間は普段積極的に生きるということをせずに、受動的に生きているが、不幸が訪れたときに初めて生命の尊さを知るということに対して共感を覚えました。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 現在、がん告知はするべきであるということになっていますが、末期がんの患者に真実を告げた場合、告知しなかった方が良かったという例は多いのでしょうか。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 先生が医学とは直接関係のないシーンをも、臨床において医師として大切なことに結び付けているところがすごいと思いました。そして、私自身にはまだまだそういう見方ができていないと思いました。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 設問2について書きます。インターネットで、がん告知反対の文書をしらべていたら、こんな言葉がありました。「告知を望まないのは18%だったが、それは健康な時の話。告知の重要性を説明すれば、ほぼ全員が告知を望む」やはり、現在はQOLのために告知して欲しいという方が断然多いようです。しかし、そんな中で、高齢の女性に「がん告知はして欲しくない」という方が多いそうです。また、別の問題として、患者本人が望んでも、家族の強い反対のために、がん告知が行われないこともあります。その人の人生はその人のものなのだから、その本人が決めたことに賛同してあげるのが、本当の優しさだと私は思います。これからは、QOLをいかに充実させるかが大きな課題であることが、感じられました。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 胃癌という病気に直面した主人公が、今までの人生を反省し、残された時間だけであっても生きがいを持ち、充実した人生を送るよう努力する姿に感動した。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 進行性の癌や発見が遅れたため手術のできない末期の癌の患者さんに対して告知をするべきかどうかという点。彼らの残された数少ない日々をいかにして医師として、有意義なものとしていくかという点。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 医師になろうとしていながら、死のことは漠然と、しかも瞬間的にしか考えることがない点。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 もっと、闘病記など死に直面しながら生きる患者さんの本を読むようにしたい。また、医師や看護士の話も聞きたい。そして、彼らが何を感じ、何を思うのかを心に留めながら、自分自身で死について考えていくつもりである。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 主人公が「死」を意識してから、別人のように生き生きと自分のやりたい事、自分にしかできない事をやり通していく姿に心を動かされました。高校のころ倫理の授業で、ハイデッガーという思想家が、人間とは「死への存在」であり、絶えず逃れることのできない「死」を意識することで初めて充実した生活を送ることができると言っていたということを思い出しました。また、人はそのとき自分にできる事を一生懸命やることで、いつかは報われるんだなあと思いました。形式や慣習、地位や名誉といったものにとらわれずにその時自分が正しいと思うことをやり通すことで初めて何かを成し遂げることができるのであろう。特に医師という職業は、他人の命を預かるという職業であるので、周りからの評価などを気にせず、患者さんが必要としている治療を堂々と行っていく必要があるのではないだろうか?
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 「恋せよ乙女」の歌を主人公が歌っていたのは、「生きている実感」を感じられない事が心のどこかでコンプレックスのようになっていたために無意識のうちに「生きている実感」があふれているこの歌をいつも心の中で繰り返していたからではないかと思いました。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 自分のやることに自信を持てない自分。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 .自分の気持ちに正直になって、自分のすること全てに全力を尽くしたい。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 自分は余命幾ばくもないと気づいた人がそのつらさを打ち明けようとする。しかし、そのことを周りの人が全く感じ取らず逆に辛さを増幅させていた。 その場面がつらく、心に残った。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 胃癌の説明を受けた。胃癌の中でも噴門部癌の自覚症状はあまりないため、発見した時にはすでに手遅れ、という事態が多いようだ。 さて、手遅れの患者に対しこの映画では、医師は胃潰瘍だといって嘘を言った。告知は、場合にもよるが、すべきであると私は考える。もちろん、その段階に至るには、医療スタッフが、患者の「怒り」や「つらさ」に惜しみなく耳を傾けてあげる必要があるが、告知をすることで、キューブラー・ロスの言うように、患者は最終的に死を「受容」すると考えるからだ。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 ・告知するという責任を負える自信がない。・告知後のケアに自信がない。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 キューブラー・ロスの「人生は廻る輪のように」を読んだ。そこには末期の患者とのやり取りについて、以下のことが書かれていた。『私は患者が感じている悲惨・孤独・恐怖に正面から向き合い、患者が何か話しかけてきたら必ず応えた。訴えにはよく耳を傾け、自分なりの返答をした。気持ちが通じるようになり、患者はもう独りではなくなり、怖がらなくてもいいのだと感じ始めていた。』このことから、末期の患者にはそのひとの怒りやつらさを聞いてあげ、愛をもって接することの重要性を改めて認識させられた。これから医師となる過程で、また医師となったあとも、このことを胸に刻んで仕事に取り組んでいきたい。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 この映画を通して、自分の生き方について改めて考えさせられました。ロボットのように単調に仕事をし、何の楽しみもない生活を送っていた主人公が、癌をさとることによってそれまでの生き方を反省し、楽しみを覚えたり、何か大きなことを成し遂げようと決心します。初めは投げやりになり、酒で忘れようとしていた主人公でしたが、最後の数ヶ月間は、人生で最も輝いていたように思い、私もただぼんやりと過ごすのではなく、短くても太い、悔いのない人生を送ろうとつくづく感じました。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 映画の中で主人公がよく口ずさんでいた「命短し〜」という歌は黒澤監督の演出であるという意見もありましたが、私はそれだけではなく、主人公が自分の人生を振り返り、残された命を精一杯生きようとしているのと歌とが重なり、主人公の訴えるような想いを感じました。死ぬ前には、今までを回想して、自分の生き方そのものであったような歌を最後に満足そうに歌ったのではないでしょうか。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 ・主人公が癌をさとったことは、結果的には良かったと思います。ただ、役所の人や家族が気づかないまま、ひどいことを言われたり、疑われたりしたのを見て、本人だけへの告知はより精神的な負担を増すだけだと思いました。 ・映画の医師は、主人公の余命が短いのを知りつつ胃潰瘍だといい、その後の態度も少し冷淡に映りました。もっと患者さんの生き方や性格を知った上で、告知すべきかどうかの検討に十分な時間をとるべきだったと思います。 ・自分が告知する立場になったとき、自分の告知の仕方によって、患者さんが悲観的になる場合もあり、的確な判断ができるか不安です。また、自分や家族が告知される場合にも冷静で前向きでいられるか考えさせられました。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 告知について考え、「医療現場に臨む哲学」という本の該当部分を読み直しました。この本には、QOLは「充実した生活を送っているか」ではなく、「充実した生のための環境がどれほど整っているか」によるとありました。今回も、家族や同僚が主人公の病状を知り、共に残された人生を最高の時にしようと支えてあげていれば、より不安も減ったと思います。告知をするからには、患者さんが残りの人生を前向きに生きられるように、見守り、協力してあげるのも医師のすべきことだと感じ、がん告知について、改めて深く考える機会が得られたと思います。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 話の中で何度か歌がでてくるが、主人公が最後に公園でブランコに乗って歌っているシーンは他のシーンと違った雰囲気で主人公の達成感と満足感が私には伝わってきた。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 一刻も争えない救急のときでもいった先の病院に専門医がいないなどの理由から病院をたらい回しにされ、それによって間に合って助かっていたかもしれない命が手遅れになることがよくあるという話がでていた。今の医療制度ではすべての科の専門医を当直にあてたり、一人の医師がすべての科に対応するのは難しい話であることはわかるが、患者さんやその家族は医師を頼るしかなく、頼れると信じてくるので、やはり来た人を拒むというのは本当はあってはならないことだと思う。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 毎日生活するなかで、私は一生懸命何かをするということがあまりないとおもった。淡々と日々を送っているように自分が思えた。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 毎日何もせずにすごしてるわけではもちろんないが、毎日が同じことの繰り返しで淡々と過ごしている気がする。試験勉強やレポートなどはしているが、それは一生懸命がんばっているというのとは少し違う気がする。自分から行動を起こしているのではなく、与えられたことを受動的にこなしているだけのような気がする。そうして過ごしていると毎日が楽しくないし、楽しくないとさらに何もする気が起こらないという悪循環となる。前から自分でもある程度はわかっていたことなのだが、映画を見てさらに強く思ったのは、何かを受動的ではなく、能動的に自分から行動を起こすことが必要であるというこだ。それは些細なことでも、人からみればくだらないことでもよいと思う。一つのことを自分から積極的に動こうと思って行動するだけで、今までと同じことをしていても全く違う気持ちをもてるし、自分になにかしら残るものがあると思う。何でも自分の気持ち次第で変えられると思った。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 人間は普段積極的に生きるということをせずに、受動的に生きているが、不幸が訪れたときに初めて生命の尊さを知るということに対して共感を覚えました。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 現在、がん告知はするべきであるということになっていますが、末期がんの患者に真実を告げた場合、告知しなかった方が良かったという例は多いのでしょうか。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 先生が医学とは直接関係のないシーンをも、臨床において医師として大切なことに結び付けているところがすごいと思いました。そして、私自身にはまだまだそういう見方ができていないと思いました。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 設問2について書きます。インターネットで、がん告知反対の文書をしらべていたら、こんな言葉がありました。「告知を望まないのは18%だったが、それは健康な時の話。告知の重要性を説明すれば、ほぼ全員が告知を望む」やはり、現在はQOLのために告知して欲しいという方が断然多いようです。しかし、そんな中で、高齢の女性に「がん告知はして欲しくない」という方が多いそうです。また、別の問題として、患者本人が望んでも、家族の強い 反対のために、がん告知が行われないこともあります。その人の人生はその人のものなのだから、その本人が決めたことに賛同してあげるのが、本当の優しさだと私は思います。これからは、QOLをいかに充実させるかが大きな課題であることが、感じられました。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 この映画は、自らが胃がんだとわかった男が、紆余曲折を経ながら目標を見つけ、それに向かって積極的に生きた話であるが、その男の姿勢に対して、周りの者が影響を受けていく様子が特に印象に残った。黒澤は、人生は短いので、無為に生きるのではなく、目標に向かって毎日充実して暮らすように、観客に伝えたかったのではないかと思う。ところで、胃がんと知る前の男の働きぶりから、「死んだも同然だ」というようなナレーションが入っていたが、それでもその間に一人で息子を育て上げて、毎日子供のことを思って暮らした経緯を考えると、それまでの人生も充実していた面もあるのではないか。仕事における熱意や何かを成し遂げることが生きることであるといった視点にはやや疑問を感じた。この映画は戦後すぐに作られたもので、当時は、男は仕事といった風潮が強かったからなのかと思った。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 先生は、最後の場面で男が「命短し、恋せよ乙女・・・」という歌を口ずさんだのは、奥さんとのことを思い出していたからとおっしゃっていたが、私は、公園を作るということに向かって充実した時間を過ごしている時に、子供の頃やあるいは青年期に真剣に生きていた頃の気持ちと同じになり、素のままの自分に戻って、昔自然に身に付いた歌を思わず口ずさんでしまったのだと思った。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 末期のがん患者に対して、医師になったとき、どのように対処するのか、告知をするのかということ。自分が末期患者になり、あと余命幾ばくもないとわかったとき、どう行動するのかということ。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 余命幾ばくもないという患者に対しては、医師として最善の医療を施すのは当然だと思うが、それ以前に人間として、その人の気持ちを少しでもわかってあげられる、少なくともわかろうとする人間でありたいと思う。自分の経験したことのない状況を、自分のものとして感じるのは非常に難しいことであるが、想像力を身につけることでそれに近づけるのではないかと思う。そのためには、読書などが有効だと思い、今までよく読書をしてきたつもりだが、今以上に読書をしていこうと思う。また、普段周りの人の気持ちを常に考えることが、いずれは医師として患者の気持ちを推し量ることにつながると思うので、普段の家族や友人などの気持ちも大切にしていきたいと思う。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 自らの死を意識しつつ、それを周囲の人たちに気付かれないよう頑張る主人公の姿が痛々しかった。仮に自分が癌であると暴露してしまえば、少なくとも周りの人々が彼の行動を奇異に思うことはなかっただろう。しかし、癌患者として温かい扱いを受けるより、「不可解な人」を演じることになってまでも最後に自分の意思を通して死のうという道を選択した姿に感動させられました。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 先生は、最後の場面で男が「命短し、恋せよ乙女・・・」という歌を口ずさんだのは胃がんは腫瘍がある部位によっていくつかの種類があるそうだが、早期発見がしにくいものほどタチの悪いがんであるということは、大きな問題だと思った。今後はさらなる早期発見の医療技術が望まれると思った。また、映画の内容的には、ターミナルケアについて少し言及してほしかった。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 胃がんについてよく知らないと思った。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 胃がんについてインターネットで国立がんセンターの一般向けサイトを調べた。特に早期発見のために、胃がんの一般的症状が気になったので、そのことに絞ってしらべた。 胃は大きな臓器であるため、がんがかなり進行しても全く症状がない場合も多くみられる一方で、治療を受けている患者の50%が早期胃がんで、そのうち50%は何らかの症状がきっかけで検査を受けてると知った。早期胃がんの多くは病変の中に潰瘍ができるので、そのための痛み、出血、胃部不快感などが検査を受けるきっかけになるということだ。しかしこれらの症状は胃潰瘍の症状であって、進行したがんの症状は、痛みというより食事が通らない、胃が重い、体重が減る、食べ物がつかえるといったものである。知らない間に貧血が進み、そのために動悸や息切れが生じて発見されることもある、ということもわかった。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 死期を知って動揺しながらも、残された人生で為すべき目的を見出して、それを実現した主人公は、初めて主体的に生きたのだと思う。そして、そのことが日常の仕事の中にあったということは、実はぼくたちも日常生活の中で惰性に流され、大切なものを見落としているのかもしれないというメッセージのように感じた。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 患者に死期を告げることは、映画が製作された当時は言わないことが当たり前だったようだし、今日でも、絶対的に正しい結論はない。なぜならば、死を前にして生きる目的を見つけた主人公のような人ばかりではなく、絶望してしまう人も数多くいるからだ。患者に対して、病名も死期も包み隠さず伝えるのが正しくて、それが社会的な合意になったならば、医師はどれほど気が楽になるのだろうと思う。でも、そうはいかないだろう。死に関する情報を持つ医師は、つねに個人として考え続け、悩み続けなければならないのか。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 死を取り巻く様々なことがらや、生きることの意味に対して鈍感であってはならない。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 病名や死期の告知が大きなテーマであることは以前から承知していたが、いろいろ考えると、これは死の問題に限らず、加齢に関しても言えると思った。つまり、歳をとってなお前向きに生きる人もいれば、老いるにしたがって生へのモチベーションが下がる人もいる。加齢に関しては老いに対する本人の意識も大きいが、それとは別に、社会が高齢者に対して冷淡でありその人の存在を軽んじるような風潮があれば、それは社会的な死の宣告、死の告知のような残酷さを持つものと言えるだろう。近年、高齢者の自殺が増加していることは、生きる希望、目的を失っていることも大きな原因であると考えられ、そうした問題の深刻さを示している。自分自身もそうだし、医療を含む社会全体が、死のみならず加齢とそれに対する心のケア、社会的サポートについて、もっと真剣に考えていかなければならないと思った。
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