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シネ・エデュケーション第7回
「カッコーの巣の上で」
シネ・エデュケーション 第7回「カッコーの巣の上で」
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等  病院では規則を重視し、患者の要望、気持ちを無視していたことに憤りを感じ た。患者がワールドカップを観られないように汚い理屈を述べたり、懲罰的な電気ショックを施したりと、当時でもおかしいと思うような医療が多いように思った。  しかしこのような、人権無視な治療法は当時では普通のことなのだという。二度とこのような患者の心を無視した、型にはまった治療を行うような時代に戻してはならないと思う。また、今現在でも当時のようなひどい治療を行ったりしないように、注意していかねばならない。マックのように、患者に笑いをもたらし、患者を励ます治療こそ、意味があるものなのだと思った。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点  マックのように、病気ではないと思われる患者が入院させられることが、「現在ではもうない」とは言い切れないのではないだろうか。(患者さんの病気を誤診することのないように、いつも細心の注意を払わねばならない。)  また、集団精神療法ということを先生がおっしゃったことについて… 精神病患者さん同士でワーク(キャッチボールなど)をする療法よりも、健常者の中に一人患者さんを入れて行ったほうが、効果があるときいたことがあります。もちろんその患者さんの病気にもよるとは思いますが、そのことについてもし良かったら教えてください。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点  婦長を責める気持ちがあまりに強い。(彼女は当時の精神病病院ではごく一般の医療従事者であったのであり、そういった非人道な治療を当たり前にしていた社会についてよく考えていくべきである。)
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果  昔の医療ではどのようなことが行われていたのか、時間の流れに沿って客観的に知る。ヒポクラテスに始まり、ナチスの優勢劣敗医療(障害者は殺してしまう)、また日本における伝染病の変遷など、医療の歴史を勉強することを、以前はそれほど重視していなかった。しかし、医療の歴史から今を考えることは重要だと思うようになった。(今回は以前から持っていた医療の歴史についてのプリントを
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 人権は、『人権』を主張する主体が正常な判断を下すことのできる場合に限って存在するものである。そのため精神を病んでいるとき、人権を侵害するするような治療が横行するのだと思う。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 集団治療をするとどうして回復が早いのでしょうか?(感情・理屈を共有することで脳が活性化するのでしょうか?)
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 ・治療と人権について考えさせられた。 ・あのように抑圧された環境下では治療どころか悪化さえするような気がした。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 時代背景について調べた結果、1975年はカレン裁判(尊厳死についての訴訟)のあった年である。つまり、アメリカという国が尊厳死について考え始めた年であろう。そういう意味で、インディアンの彼が最後にマクマーフェイを殺したことは社会に問題を投げかけたものではなかろうか?(もっとも”インディアン”が殺すところに、社会の幼さをうかがい知ることはできるけれど)
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 主人公は精神病ではなかったが、精神病とみなされ、最終的に電気ショック療法により廃人となってしまった。精神病の治療を行うはずの精神病院が、病院側の管理の論理によって「精神病患者」をつくり出してしまうことが不気味だった。加えて、治療の名のもとに電気ショック療法があれほど露骨な形でペナルティ的に、それも「殺人」同然の処置が行われる可能性がある(あった)ことが衝撃的だった。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 一般的にも先生の話しでも、精神病の患者が集団病棟で生活することには意義があるという。治療の一環として効用もあると思うが、言葉は悪いが「クレージーな人間同士の中での奇妙な集団生活」に慣れてしまうと、永久にそこから出られないと思う。映画の中でも、そとの自由な社会を自ら捨てて自発的に入所し、そこでの管理された集団生活から安心感を得、進んで婦長に従う患者たちが多くいた。精神病院での治療の中にも、精神病をつくり出し、患者を精神病として固定化している要因があるのかもしれないと思った。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 実際のところ、この映画からは医学、特に精神医学に対する恐怖感と不信感しか感じなかった。この映画が世界の精神医学界に影響を与えたということや、婦長がいまなお映画界の悪役として記憶されていることも納得できる。精神医学の諸問題の深刻さ、暗さをとても痛感した。精神医学の持つ暗さの部分が、何か自分のことのように後ろめたく、この分野に立ち向かっていく気持ちが揺らいだ自分が情けなかった。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 意識的に「医学の側」に立って映画を見ていると、あまりにも絶望的なエンディングで、後味が悪い。ネットなどでこの映画に対する感想を見てみると、この映画の支持者が多いのは、「管理に縛られず自由を追い求め、その中でひとりのネイティブアメリカンとの心の交流が生まれる。最後、本人は自由の精神をめぐる戦いの殉教者として命を失うが、ネイティブアメリカンが主人公の意志に応え、自由の精神を手に入れる(脱走 する)」というところにあるようだ。「医学の側」がこうした感想を踏まえて精神医学に生かすことがあるとすれば、イメージ的な目標ではあるが、精神病院が「患者の行動は管理しても、精神までを管理する場所になってはいけない」ということだろう。この場合、行動と精神の区別はとても不明確であいまいだが、そう考えて精神医学と関われば、自分自身、精神医学への前向きなスタンスを取れるかもしれない。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 婦長の言いなりだった患者たちが、少しずつ人間らしさを取り戻していく姿を見てうれしくなったが、人間の尊厳を無視した病院側の体制には強い憤りを覚えた。ラストが本当に切ないが、チーフの脱走は多少の救いではあり、よかった。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 今でこそ精神医療は権利意識の向上や、明るみになった事件についての波乱や、当事者・家族などの運動で随分ましになったようだが、一昔前はこんな感じだったのだろうか、と思った。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 ロボトミー手術について知りたいと思った。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 インターネットでロボトミーに関する説明を探して読みました。  解ったことのまとめ:ロボトミーの lobo- は前頭葉とか中肺葉とかの「葉」と言う意味で、一方、 -tomy は切断とか切除を意味する。いわゆるロボトミーは正式には prefrontal lobotomy を言い、「前部前頭葉切截術」と訳されている。 この手術を発明したのは、ポルトガルのエガス・モニス(1875-1955)。1935年、60歳のときにロボトミーの基本を考案、治りにくいうつ病や不安神経症の患者にばしばしと実施して、劇的効果が得られたと発表した。  その後、ロボトミーの術式はアメリカで改良され、第2次大戦後の一時期には、精神分裂病の患者に対して盛んに行われ、全世界に大ブームを巻き起こした。当時はまだ精神分裂病に対して効果を示す薬が開発されていなかったこともあり、ロボトミーは画期的な治療法として迎えられたのである。しばらく前までは、このころロボトミー手術を受けた患者が、精神病院の片隅でぼんやりとたたずんでいたそうである。 そもそも前頭葉は、脳の中でももっとも人間らしい知的活動をつかさどっているといわれている部分である。 当然ながら、そのうちロボトミーを受けた人は性格・感情の上での顕著な変化を示すことがわかってきた。つまり、手術を受けた人は、楽天的で空虚な爽快感をいだくようになり(だからうつ病に効くとされた)、多弁で下らないことをいう。また、生活態度に節度がなくなり、反社会的犯罪行為を示す者もいたという。さらに意欲が乏しくなり、外界のできごとに対して無関心、無頓着になる。  こういうことが問題にされるようになり(当初はこういう性格変化が逆に病状にいい影響を与えるとされていて、まったく問題にならなかった)、さらに抗精神病薬が開発されるようになったこともあり、1970年代以降はロボトミーはほとんど行われていない。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 マクマーフィーのあの、豪快な、一見異常とも思える行動は定められた日課をこなしていただけで、無気力になっていた人々の心を揺さぶり、彼らは人間らしさ、生きる楽しさと言うものを徐々に取り戻していった。マクマーフィーは、その彼らにとってのヒーローであった。最後、何もできない体になってしまったが、その後、チーフが洗面器を持ち上げて脱走をはかる、というマクマーフィーがしようとしていた行動をとったシーンは、マクマーフィーがいかに彼らに大きな影響を与えたのか、ということを物語っているように思えた。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 Are you all crazy?を「みんなお仲間?」と訳していることについて、どう思いましたか、と言われましたが、このcrazy、は本当に精神を病んでいる、と言う意味で使われたのでしょうか?crazy、は行動が常識外れだ、と言う意味で使われたのではないか、と思ったのですが。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 精神科、というものについて、ある種の怖さや誤解を抱きかねないこと
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 医者である父と、この映画に関して、また精神科に関して話しました。 とはいえ、簡単にこの映画の印象が抜けきることはなく、やはりまだ有る程度学ばないことには分からない…というところです。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 この映画は、すべての患者を画一的に統制しようとする病院に対して、一人の患者が反旗を翻して、他の患者たちに個性や自由を吹き込んでいく話である。1960年代の精神病院での管理体制が厳しかった頃を舞台にしているため、やや誇張ぎみの嫌いはあったが、それでも現代にも通用する医学の問題点を提起していると思った。まず、患者の個性や要望を考慮せずに、同じような病気の患者に対して全く同じ治療法で対処しようとするきめの細かさの欠如が挙げられる。また、正常なのに聾者と診断してしまったことや、主人公が本当に精神病なのか判断できなかったことなどから、物理的な検査の結果が得られないで診断するしかない場合の、病気の診断の難しさも挙げられる。 ところで、この映画は病院側の患者への管理を越えて、人種や病名などのように、人を縛りつけようとする一切の固定観念や偏見からの脱却、解放を謳歌している一方で、自由という概念を与えられた時の困惑も表現されていると思った。自由を与えられていなかった頃は、人に言われるがままに規則正しく生活しある意味楽であったが、いざ自由を手にすると自分の行動に責任が取れなかったり、自由を知った後で再び管理の世界に戻ることはとてもできないで、自殺をするといった悲劇が起こったりと、自由を与えることの弊害、困難さも併せて、人が自由であるとはどういうことなのか、問題を提起していると思った。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 先生は、最近では、精神病患者を病院で長期入院させる治療法から、地域社会で通常の生活をさせながら、そこにサポートチームが出向いていく方法に変わりつつあるとおっしゃっていたが、それでは重症とみなせなかった患者が、何かの折に人に危害を加えてしまうという可能性が少しでも高くなってしまうのではないかと思った。また、そのような体制では、暗に家族のサポートを期待しているので、もし家族などがいない人の場合はどうなるのか、あるいは看護する家族の責任や負担の重さはどうなるのか、ということうを疑問に思った。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 精神病についてほとんど知らないこと。精神病が誰にでも起こりうるということを理解しながらも、精神病の人に対して根拠もなく恐れてしまうこと。医師になった時に、重症の精神病患者に対して冷静に対応できるのかということ。さらに、精神病だけでなく、その他のさまざまなことに対して、知らないうちに偏見を持ってしまっているのではないかということ。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 精神病に対する無知、偏見については、とにかく精神病のことを学び、精神病の人や患者に直に触れて、徐々に無くしていくしかないと思う。ところで、今の段階では、臨床の現場で患者と接するというのはなかなか難しいので、精神病だった人の体験記や意見などを本や映画等によって、なるべく触れるように心掛けることだと思う。一方で、その他さまざまなことに対して固定観念や偏見を持ってしまうことについて、これをなくすというのは非常に難しく、不可能に近いといえる。例えば、誰か初めて会った人に対しても、今までの経験から、色々なタイプ分けをしてしまい、何らかの固定観念でその人を判断してしまうというのは誰にでもよくあることだ。しかし、その中でも、集団で相手を排除するものだったり、その人を傷つけてしまうようなことは最低限なくすべきだと思う。そのためには、地域活動や読書などを通して、世間にはさまざまな価値観があることを知って、異なるということをポジティブに捉える必要がある。さらに、自分自身の価値観は絶対的なものではないということを悟り、自分に対して奢らず謙虚な姿勢でいることが、他人に対して寛容でいることを可能にすると思う。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 間の尊厳とは何かについて考えさせられた。映画に出てきた精神病院では意外にも自主入院を続ける患者が多かったが、それは彼らがいつしか病院側な解釈に染まり、「すべて自分自身の心に問題がある」と思い込んでいたからだと思う。マクマーフィはそんな彼らに、監獄のような病院の中で抑圧された 誇りを取り戻すことを気付かせていった。ラストで「チーフ」と呼ばれたインディアンの男性がマクマーフィを絶命させる場面が印象的だったが、彼はマクマーフィのような人物なら意志を奪われたみじめな姿をさらし続けることは拒むに違いないと思ったのだろう。ならば尊厳を保ったまま死なせる方がよいという極限の選択を彼は行ったのであり、それは彼なりの優しさだったと理解できる。しかし、まだ回復の見込みがあったという事実があり(彼は知らなかったかもしれないが)、そもそも人の自己決定を他人が推測だけで代行するのは、本当のところはその人のエゴでしかないこともある。全般に、人が突然意志を伝えられない状態になった時、何を望んでいるかを知ることはできない。それが医療において最も難しい問題の一つだと感じた。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 集団精神療法は同じ病気を持つ患者どうしがアドバイスを交換して癒しあえるというメリットをもつ反面、患者が言いたくないことを無理に言せられる、医療者が話し合いの進行を都合よく仕切る、価値判断にまで口を出すなど、方法を誤ればたいへんな逆効果になりかねないこと。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 この映画を見ていて、「精神病」の定義が以前にもまして理解できなくなったこと。マクマーフィの入院については、「症状は見られない」と考える医師とそうでない医師がいた。私の場合、彼の社会的逸脱がそのまま精神疾患と結び付けられているという印象を受け、あの病院が刑務所と同じような役割を求められているように思えた。しかし先生によれば、専門家の目から見ると彼が精神病か否かはもっと複雑な問題であるということだ。このような状態ならば入院させるべき、という判断は一体どう行われているのだろうか。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 いくつかのインターネットサイトを見たところ、精神医学において「異常」とみなされるものは「量的異常」「質的異常」「調和的異常」という3つのカテゴリーに分類されるそうである。さまざまな症状による診断基準(DSM-IV)は確かに存在するが、重要なのは正常と異常を分ける明確な線はなく、あくまでも医師の判断によって決められるということだ。そうなると、判断基準に影響するのは医師個人のものの考え方、ひいては患者と医師が属する社会のあり方ということになる。時代や場所の違いによって「病気」とされる基準が変わるというのは妙な話だが、それは人間として生きている限り避けられないことなのかもしれない。しかし、完全に客観的な物差しがありえない世界では、医師はできる限り自分自身の感情、社会全体の偏見を排したものの見方を身に付けるように心がける必要があると思う。医師が高い倫理観を求められる職業と言われる理由が少しだけ見えた気がする。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 最初、見始めたときに精神病患者に対する態度に現在とは何か違う、と違和感を感じたがやはり見進めていく内にそれが浮き彫りになっていった。ほとんど権利というものを奪われた、世間とは隔絶された空間で主人公のマクマーフィーが皆を活気づかせていく姿に心を奪われたし、あの婦長の患者に対するマニュアル的なステレオタイプな行動に本当に腹がたった。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 電気ショック療法が海外では結構使われており、日本はむしろあまり使われていないと先生はおっしゃっていた。海外でよく使われているのは、当然効果が期待されるからであるだろうが、そのメカニズムとは一体どうなっているのだろうか?また、日本ではそれ以外にどういう治療法を取り入れているのだろうか?
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 最近は、どの映画の中でも患者に対する一定の権利は守られていて実際の世界でもそれが普通であると思っていた。しかし、この映画を見たことによって60年代のアメリカで本当に起こっていて事を知って、そんな事実を自分は全く知らないことに気がついた。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 よくよく思い返してみれば、ハンセン氏病患者の場合も不適当な隔離政策を行われて現在まで問題になっていた。確かに、未知の病気や原因不明、治療方法が分からない症状については、人間は、患者を基本的に外界から隔離させて、自分たちよりも低い身分のような感じで扱ってしまう感はどことなくある。でもそれに気付いた人間はその態度を改めることができると思う。私も、心のどこかでそのような感情を抱いていることは知っていて、でもそれを改めるという行動に移したことはあまりなかったように感じる。これからは、そういう体験を綴った本を読んだり、また身近に患者さんに接触できる機会があれば、進んで参加して自分の人間性を更に育てていきたいと思う。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 自由への渇望、人間の尊厳を扱う感動映画。精神病院という閉鎖的な中で起こる事件。狂っているのは患者か?病院か?ラストはかなり衝撃的でした。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 精神病院のスタッフが、患者を支配するために懲罰として電気けいれん療法を使用するという、あまりよろしくないが、当時この治療法が濫用されていたのは確かである。患者を何人もベッドに並べ、端から順に電気をかけてけいれんを起こさせ、呼吸管理も何もなし、という見た目にも残酷で大ざっぱなやり方のために、不幸にも命を落とした患者さんもいると思われる。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 彼らは「精神病患者」というのは呼び名だけで会話も普通に出来るし、ゲームも教えられれば出来る。ただ感情の起伏が激しかったり、自分にすごく自信がなかったりするだけで勿論、人の助けがいるわけだけれど差別の目でみることは間違いだと思いました。改めて自分のステレオタイプぶりを思い知らされた瞬間でもあった。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 心の具合がおかしいと思ったら、気楽に精神科に行こう。病気になれば医者に行く。当たり前のことである。その当たり前のことが、精神科の場合は、社会的偏見が壁となって実行しにくくなっているのである。まずは、医者に行くことである。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 婦長さんが悪役〜ってかんじだった。はっきりいってこの映画はどこがおもしろいのかわからなかった。インターネットでの批評もほとんどが「すばらしい映画だ」ってかんじだったのに。よくわからないし、あまり病気について細かい描写はないし、なんで主人公が最後に廃人のようになってしまったかもわからなかった。ネットに「主人公は前頭葉を摘出するロボトミー手術をうけた」というようなことがかかれていたが、映画の中にそんな説明があったなんて気づかなかった。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 電気ショックが一番効果的というのはショックだった。でもそこまで効能がわかっているなら、日本でもやればいいのに。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 電気ショックは一番よくない治療法だと思っていたこと。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 図書館で電気ショックについて調べたら電気ショック療法(正式には「電気けいれん療法(electroconvulsive therapy:ECT)」という)は、特に難治性のうつ病に対しては安全でしかも非常に効果も高い治療法として知られていて、自殺の危険性の強い重 症うつ病の患者に対しては、これしかないらしい。アメリカ精神医学会の報告によれば、電気けいれん療法はうつ病の治療法の中で最も有効率が高く、難治性うつ病に対しても50%に有効なのだそうだ。ただし、なんで効くのかはいまだによくわかっていない。薬物でもそうだけど、精神科の治療法の場合、とりあえずやってみたら効いた、という事実が先で、理論は後追いのことが多いらしい。 電気ショック療法は、1938年にイタリアのツェルレッティとビニが開発した治療法で、精神疾患患者の頭に電極をあて、脳に通電してけいれんを引き起こすというもの。なぜそんなアイディアを思いついたかというと、当時のヨーロッパでは分裂病とてんかんは拮抗する、という考えがあった。分裂病患者はてんかんになりにくいし、てんかん患者は分裂病になりにくいそれなら人工的にてんかんを起こしたら分裂病は治るんじゃないか(抗精神病薬など何もない時代である)、というわけで、1930年代にはウィーンのザーケルによるインスリンショック療法(インスリンを注射して人工的に低血糖発作を起こす。危険。)やら、ハンガリーのメドゥナによるカルジアゾールけいれん療法(薬物を注射してけいれんを起こす。注射のあとしばらくはハンパじゃなく不快らしい)やら、ショック療法がいくつも生まれたのだ。 しかし日本ではいまだに電気けいれん療法は閉鎖的で恐怖に満ちた精神病院の象徴のように扱われ、タブー視されている。ところが1980年代以降、欧米では日本とは逆に電気けいれん療法の再評価が進んでいる。 まず日本と違うのは、欧米では1950年代にはすでに安全性の高い修正型ECTが導入されていたこと。この修正型だと、全身麻酔をかけ、筋弛緩剤を投与するので、上の引用文で描写されていたような、見た目の恐ろしい全身けいれんは起こさないし、事故も少ない。1980年代にはうつ病への高い効果が再評価され、安全で有効な治療との評価が確立している。たとえば自殺の危険が迫っている重症うつ病の患者の場合など、薬が効くまでのんびりと待っているわけにはいかず、即効性のあるECTの方が有効なのだ。1990年にはアメリカ精神医学会が適用マニュアルを作成、1993年には45000人の患者がECTを受け、その数は年3%の割合で増加しているという。もちろんアメリカのことなのでインフォームド・コンセントは怠りない(ただ、もちろんECTへの批判意見はあるし、一般的な治療になっているとはいいがたく、アメリカの精神科医のうちでも8%が施行しているにすぎないそうだ)。日本でも90年代になってようやく、大学病院や総合病院を中心に、麻酔医の協力のもと、少しずつ修正型ECTが行われるようになってきたところだけれど、まだまだ従来型の有けいれん性のECTしか行っていない病院が多い。しかも国に認可されている治療器は1938年以来まったく変わっていない。 欧米では70年代に開発されたパルス波治療器が主流になっているのに、日本で医療機器として認可されている治療器はサイン波電流(コンセントから得られる交流そのまま)のものだけなのだ(パルス波の方が、必要なエネルギーが少なくてすむため、記憶障害の副作用が少なく、安全性も高い)。なお、最近では、電気けいれん療法よりももっと侵襲が少なく安全性の高い経頭蓋磁気刺激法(Transcranial Magnetic Stimulation:TMS)という治療法も開発されてます。磁場をかけることによって脳内に電流を流すというこの方法なら、麻酔はいらないし、けいれんも起こさなければ記憶障害にもならないので、外来で手軽にできるのだそうだ。しかも治療効果はECTとほぼ同じ。今のところまだECTやTMSは抗うつ薬の補助的な役割しかないけれど、いずれ、うつ病患者は通院して外来で電気をかけてもらったり、磁気をかけてもらったりするのが一般的になる日が来るのかもしれない。日本でもはやく研究が進んでほしい。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 自由への渇望、人間の尊厳を扱う感動映画。精神病院という閉鎖的な中で起こる事件。狂っているのは患者か?病院か?ラストはかなり衝撃的でした。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 精神病院のスタッフが、患者を支配するために懲罰として電気けいれん療法を使用するという、あまりよろしくないが、当時この治療法が濫用されていたのは確かである。患者を何人もベッドに並べ、端から順に電気をかけてけいれんを起こさせ、呼吸管理も何もなし、という見た目にも残酷で大ざっぱなやり方のために、不幸にも命を落とした患者さんもいると思われる。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 彼らは「精神病患者」というのは呼び名だけで会話も普通に出来るし、ゲームも教えられれば出来る。ただ感情の起伏が激しかったり、自分にすごく自信がなかったりするだけで勿論、人の助けがいるわけだけれど差別の目でみることは間違いだと思いました。改めて自分のステレオタイプぶりを思い知らされた瞬間でもあった。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 心の具合がおかしいと思ったら、気楽に精神科に行こう。病気になれば医者に行く。当たり前のことである。その当たり前のことが、精神科の場合は、社会的偏見が壁となって実行しにくくなっているのである。まずは、医者に行くことである。
医学生の提出レポートから
この映画を見て感じた、この映画に関する感想等 味の悪い映画でした。映画にでてくる精神病院のあまりのいやらしさに男性職員のしている蝶ネクタイまで嫌になりました。あの精神病院では患者はただ管理されるべき存在だったのだと思います。薬の時間やレクリエーションの時間などの流れ作業的な風景、プールに入ったマクマーフィを家畜のように棒でつついて動かそうとしたり拘束期限をたてにとって脅そうとする職員。患者の心の弱い部分を攻撃して自分に従わせようとした婦長の勝ち誇った顔がとても印象的でした。ラストシーンでインディアンの男をはじめとする患者たちの自立はせめてもの救いでした。こんな事は現代の精神病院では絶対に起こすべきではないと思います。
映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて感じた問題点 先生は、主人公のマクマーフィがラストシーンでおかしくなったのは電気ショック療法を過剰に受けたせいだとおっしゃいましたが、ちょっと調べてみたところ、どうもロボトミーの手術を受けたから、らしいです。これは前頭葉をとってしまう手術らしいですがこれをやった場合、詳しくはどんな症状がでるのでしょうか。また、その場合、マクマーフィが回復する可能性はあったのでしょうか。チーフがマクマーフィを「安楽死」させたことについては、チーフの行動があまりにも衝動的だったのではないかという気はします。ああいう状態で婦長に管理されて生きるのはマクマーフィが最も嫌がる事だったのではないか、とも思うけれど、やはり医者の卵としては、あの状態でも、どうにかしてよく生きられるようにはできなかったのか、と考えてしまいます。
この映画を見て、および、映画を見た後の医学部の先生の解説を聞いて受けた自分自身の問題点 精神病院の内部を意外と知らなかった事。
上記について考えたことと解決に向けた行動について、また、その具体的な成果 今回の映画をみて、「まさか現代の精神病院ではこんな事は起こっていないだろう」と思っていたのですが、それをちゃんと肯定できるほどの知識を自分が持っていないことに気づいて愕然としました。これから、病院見学の機会を利用したり、本を読んだりして知識を深めていきたいです。
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