教室の歴史
 

 1955(昭和30)年4月、吉田克己助教授が着任して、公衆衛生学講座は半講座(助教授講座)として開設された。
第2次大戦後医系大学に、従来のドイツ医学の流れをくむ衛生学講座に加えて、疾病予防を主眼とした典型的アメリカ医学である実学としての公衆衛生学講座の設置が占領軍の指導で進められたが、物資のない時代に公衆衛生学講座はスタッフ面や物品等の面で極貧の中で黎明期を経過するのが多くの大学の通例で、本講座も例外ではなかった。
 
 講座開設後まもなく日本は高度経済成長最優先時代に突入し、三重県四日市地区にわが国最大規模の石油コンビナート立地された。このコンビナートは操業初期から工場排水による海産物の汚染、「異臭魚」の発生として社会問題になり、県立大学の公衆衛生学講座としてこの問題に係わらないわけにはいかなかった。
これはその後、四日市地域の大気汚染の問題となり、その悪化に伴う喘息等の慢性閉塞性肺疾患患者の多発と間の因果関係の研究がこの講座の研究の柱となった。
大気測定網が整備され汚染データが蓄積するとともに、国保レセプトによる患者調査や地域住民に対する集団検診を繰り返して慢性閉塞性肺疾患(COPD)の発生状況を把握し、この両者間の因果関係を疫学的に証明し、さらに県を指導してわが国で初めて汚染物質の排出を規制する「総量規制」制度を国に先んじて施行し大気汚染の劇的な改善に導いた。吉田教授をリーダとする当時の教室員の業績は世界的にも高く評価された。
 
 吉田教授の退官後、1986(昭和61)年に今井正之助教授が昇任した。今井教授はこれまでの研究を継承し、モータリゼーションによる新たな大気汚染問題に取り組むとともに、四日市大気汚染を克服した科学と技術をその後に大気汚染に苦悩している他の国々に技術移転することに大きな役割が期待された。
 
 1991(平成3)年1月16日、今井教授の志半ばの急逝後、同年12月に山内徹教授が着任した。山内教授は前任地での大気汚染と住民の健康被害についての研究経験から、教室の伝統的テーマを継承し、環境汚染の解決に対する国際技術移転に参加するとともに、最盛期の四日市大気汚染を上回る汚染に現在苦しんでいる中国の工業地帯の大気汚染と、住民の健康被害について調査研究を進めている。また、一方では有機燐剤の神経毒性研究、産業保健や精神保健の分野の研究を取り入れる等講座には新しい風も吹きこんでいる。 
 
 2003(平成15)年、4月1日に横山和仁教授が着任した。横山教授も教室伝統テーマを引き継き、環境汚染と健康被害についての調査研究を行うとともに、神経毒性研究、産業保健や精神保健分野の研究で活躍した。
 2010(平成22)年、4月1日に笽島茂教授が着任した。笽島教授は、2013(平成25)年10月には第72回日本公衆衛生学会総会会長を、2014(平成26)年11月には日本産業衛生学会東海地方学会会長を歴任し、公衆衛生・産業医学分野で活躍している。
現在は、「労働時間が健康に与える影響の検討」というテーマで企業、臨床講座等と連携して大規模な疫学調査を実施し、労働時間と疾患(心筋梗塞、脳卒中等)との関連についての研究を行っている。また玉城町、紀北町、東員町等三重県の市町と連携して、行政ビッグデータを活用し、地域の健康づくりに貢献する研究を行っている等、産業医学における新しい視点での研究を行っている。