<変革と歴史>

変革と歴史

〇 宇田和雄 教授時代  1943年10月~1945年7月

 1943 (昭和18) 年12月、本学の前身三重県立医学専門学校が設立され、津市立病院の宇田和雄外科部長が外科学講座教授に就任した。当時、急患時の呼び出しはもっぱら電報で行われ、外科医は自転車を走らせて病院(塔世橋畔)に向かった。1945(昭和20)年7月24日の米軍機の爆撃により、病院は完全に破壊された。


〇 山本俊介 教授時代 1948年1月~1976年3月

 1948(昭和23)年1月、山本俊介先生が三重県立医学専門学校外科教授に就任され、1948(昭和23)年4月、三重県立医科大学となり、1949(昭和24)年3月、医学専門学校第一期生を輩出した。この頃から本格的に手術が開始され、1952(昭和27)年1月、岐阜大、大阪大に次いで全身麻酔を導入し、甲状腺の手術に成功した。1952(昭和27)年4月より、三重県立大学医学部、1972(昭和47)年5月より三重大学医学部の外科学教授として、計28年間教授職を勤められた。その間行った手術は良性では胆石症、胃十二指腸潰瘍が多く、悪性では胃癌、大腸癌、食道癌が主なものであった。結核性の外科疾患は高茶屋病院にて胸部外科医により手術されていたが、1957(昭和32)年4月、胸部外科学教室(久保克行教授)として分離独立した。 山本教授は1962(昭和37)年10月、第21回脳神経外科学会(伊勢市)を主催し、この学会で専門医制度を取り入れた脳神経外科の卒後教育体制を発足させた。1965(昭和40)年、日本外科学会で十二指腸乳頭括約筋切開術の有効性について総括講演を行い、1968(昭和43)年、日本消化器外科学会設立にあたり発起人の一員として参画された。


〇 水本龍二 教授時代 1976年9月~1994年3月

 1976(昭和51)年9月に、水本龍二先生が京都大学第一外科より第3代目の教授として赴任された。1977(昭和52)年1月、脳神経外科教室(和賀志郎教授)が分離独立し、第一外科教室は一般外科でも、特に肝胆膵の外科に集中してあたることになる。1986(昭和61)年4月、第86回日本外科学会で水本教授が「肝臓外科に憶うー過去、現在、将来」の特別講演、同年7月、第28回日本消化器外科学会で川原田嘉文助教授が 「肝硬変合併例の術後病態と対策」の宿題報告を担当した。水本教授は1985(昭和60)年から1988(昭和63)年に胆道癌の治療成績向上を目的とした厚生省がん研究助成金の班会議班長をつとめた。1990(平成2) 年2月に第35回日本消化器外科学会(伊勢市)、同年7月に日本膵臓学会第21回年次大会(津市)、1992(平成4)年11月に第4回日本肝胆膵外科フォーラム(津市)を主催された。

 

〇 川原田嘉文 教授時代 1994年7月~2001年3月

 1994(平成6)年7月、第4代目教授として川原田嘉文先生が助教授から教授に昇任された。川原田教授は「Imagination & Creation」をキャッチフレーズに、教室の研究テーマである肝胆膵の外科を中心に、その病態や外科的治療あるいは周術期の病態と対策など、消化器外科領域の診療・研究をさらに発展させた。また、 米国ハーネマン医科大学でのチーフレジデントの経験を活かし、 臨床外科医育成のための卒後教育にレジデント制を導入し、教室の改革を図った。 1998(平成10)年4月に DDW-Japanの第29回日本膵臓学会大会(横浜市)、同年11月に第10回日本肝胆膵外科学会(四日市市)を主催された。

 

〇 上本伸二 教授時代 2001年12月~2006年3月

 2001(平成13)年12月、 京都大学医学部移植外科より上本伸二先生が第5代目の教授として赴任された。赴任直後より精力的に生体肝移植に取り組まれ、約4年間の在任中に89例の生体肝移植を施行し、全国でも屈指の症例数を誇るまでになった。国際的にはエジプト、タイ、中国、コスタリカなど諸外国に招聘され多数例の生体肝移を施行されるとともに、2005年にはアテネでの13th IASG(国際外科・消化器学会)教育講演会で肝悪性腫瘍の講演を担当された。また若くして附属病院副院長を務められ、その傍ら医学教育にも熱心に取り組まれ、卒後臨床研修部部長やクリニカルクラークシップ委員長も兼任された。2006年(平成18)年3月退職され、母校である京都大学医学研究科外科学講座教授に就任された。


〇 伊佐地秀司 教授時代 2007年12月~2019年3月

 2007(平成19)年12月、三重大学医学部を1979(昭和54)年に卒業し水本教授時代に入局した伊佐地秀司先生が第6代目の教授に就任された。肝移植を継承され、現在までに140例を超えており、全国的にも有数のhigh volume centerになり、2010年4月には脳死肝移植認定施設(現在、全国で22施設)に認定された。これを機に同年10月には附属病院内に臓器移植センターが開設された。2011(平成22)年6月に三重県下初の脳死肝移植を施行し、現在までに2例の脳死肝移植が行われている。2008(平成20)年7月には三重大学医学部附属病院乳腺センターが設立され、初代教授に1989(平成元)年三重大学医学部卒業で水本教授時代に入局した小川朋子先生が就任された。これを機に、当科は三重大学大学院医学系研究科肝胆膵・移植外科学と称することになった。 

 肝胆膵領域の癌治療については、2001(平成13)年以降この領域にも有効な抗癌剤が登場し、それまでの手術一辺倒の治療から、抗癌剤・放射線治療と手術を組み合わせた治療戦略がとられるようになった。難治癌の代表で21世紀に残された癌である膵癌については、全国に先駆けて2005(平成17)年2月から超音波内視鏡下生検(EUS-FNAB)で膵管癌と診断された局所進行膵癌を対象に化学放射線先行手術のプロトコールを取り入れ、2013(平成25)年12月までに200例以上の症例登録を行い治療成績の向上がえられている。また、膵癌撲滅の啓蒙活動として、パンキャンジャパンとの協力で三重大学構内を一般市民と医療スタッフがともに歩くウオークイベントと市民公開講座を2012(平成24)年から年1回開催している。胆道癌においては、生体肝移植の手術手技を導入して、門脈・動脈同時合併切除再建を積極的に行い、治療成績の向上が得られ、さらに進行胆道癌に対して術前化学療法を導入する、新たな治療方針を作成し治療を行っている。さらに手術手技の工夫として、安全で確実な膵腸吻合法としてpair-watch suturing technique (A standardized technique for safe pancreaticojejunostomy: Pair-Watch suturing technique. World J Gastrointest Surg. 2010;2:260-4), 全肝血流遮断の低侵襲な方法 (Total vascular hepatic exclusion  for tumor resection: a new approach to the intrathoracic inferior vena cava through the abdominal cavity by cutting the diaphragm vertically without cutting the pericardium. J Hepatobiliary Pancreat Sci. 2010;17:197-202)、局所進行膵癌に対する確実な膵外神経叢切離法(Anterior approach to the superior mesenteric artery by using nerve plexus hanging maneuver for borderline resectable pancreatic head carcinoma. J Gastrointest Surg. 2014;18:1209-15)、など標準化を目指した手技の開発を積極的に行っている。

 水本外科から始まった肝胆膵外科を中心とした教室として、さらに高度な専門技術や知識を追求しており、 2008(平成20)年12月から開始された日本肝胆膵外科 学会高度技能医認定制度(無編集ビデオによる試験)では、 現在までに3人の合格者を輩出している。また、日本膵臓学会膵癌取扱い規約検討委員会の委員長は、水本教授(第4版改訂)から川原田教授(第5版改訂)に引き継がれ、さらに伊佐地教授へと引き継がれ現在、第7版改訂に向けて作業が進められている。学会では、2010(平成22)年8月に第37回日本膵切研究会を開催し、2014(平成26)年10月に第288回東海外科学会、 2015(平成27)年6月に第122回日本消化器病学会東海支部例会、2016(平成28) 年8月に日本膵臓学会・国際膵臓学会合同学会が開催された。 2019(平成31)年3月31日に退職された。


 当科は2013年10月20日に第一外科開講70周年記念祝賀会を開催し、2014年11月16日には三重大学医学部70周年記念祝賀会が開催されています.当科の歴史の詳細については「三重大学医学部70周年記念誌」に掲載の記事を こちら からダウンロードして下さい.

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