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自閉症、ASD等の発達障害解明の研究を行っています。

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名神高速道路50年

2015年8月11日 成田正明

名神高速道路がこのたび全線開通50年を迎えたらしい。
おめでたいことである。
そこで私なりに50周年を記念して吹田ー小牧間を疾走してみた。神戸から津にクルマで戻るのに、草津から新名神に入らず、ひたすら名神で小牧まで走破してみるのである。

始点の西宮から名神入りしたことは大学院時代何度もある。
伊丹空港着陸の飛行機をすぐ頭上をかすめるのはいい思い出だ。

今回は残念ながら西宮からではなく都合で吹田からにした。
中国道吹田JCは「太陽の塔」のそばを通る。いつみても、ザ岡本太郎て感じだ。
太陽の塔の真下は万博時代阪急の駅だったように思う。

京都までの間、「名神起工の地」の碑がある。ここから掘り始めたのか。
軽快な道を疾走する。
「高速道路は常に道が緩やかなカーブを描いているのはドライバーが眠くならないため」、と50年前テレビで言っていたのを覚えている。
こういうことを覚えているから大事なことが覚えられないんだとよく言われる。

さて50年前名神が出来たときは実は東名はまだ完成していない。
8歳くらいまで「とうめいこうそく」を「透明な高速」と本気で信じていた私は、「透明だったら完成しても見えないよなあ。でもクルマは見える?」と思っていたのを覚えている。

大山崎、天王山を過ぎる。光秀よ、残念だったな、とか言いながら、右ルート、左ルートも過ぎる。
京都を過ぎ、トンネルを出ると琵琶湖を眺め見つつさらに北上だ。

養老あたりでアーチがかかっている。神戸に住んでいた義父が信州などへよく車で出かけたとき信州からの帰路、「このアーチを見ると神戸に帰ってきた気がするなあ」と言っておられた。
スケールの大きいお義父さまであった。
なのでいまでは養老のこのアーチを見るとお義父さまを思い出すようになっている。

そしていよいよ関ヶ原だ。
山と山に挟まれ狭くなっている地形がよくわかる。
戦うために作られたような土地だ。自分ならどう攻めるか。
「ここで戦うのか」
今私は東へ向いているので石田三成のような気持ちだ。
あのあたりが小早川の松尾山か。「卑怯!」と叫んでおいた。

その後は濃尾平野の平坦なところ一直線だ。
開業当時のままかもしれない。

いつしか小牧についた。
さすが日本の高速道路、満喫した。

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