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自閉症、ASD等の発達障害解明の研究を行っています。

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桑名になぜ播磨?
-おとこで傷ついた心は、おとこでなおす-

2016年7月27日 成田正明

桑名から大垣まで養老鉄道が走っている。
先日乗った。
詳しくはまたの機会とする。

さて桑名の次の駅が「播磨」である。
播磨?あの姫路の?と思った。

江戸とか大坂とかだと伊勢町とか明石町とかはあるが、桑名にはそういうのは無く、なぜ播磨?と思った。
が、謎が解けた。

きっとこうだ。

千姫というお姫様がいた。
「千姫祭り」もあり当地では有名だ。

千姫は徳川秀忠と江(ごう=信長の姪、茶々の妹)の娘で、秀吉の跡継ぎ秀頼のもとに大坂に嫁入りした。
秀吉が亡くなり関ヶ原で徳川が勝ち、大阪の陣で豊臣が滅び、千姫はかろうじて大阪城から江戸城へ逃げるが、夫秀頼は自刃した。
18年ほど仲睦まじく暮らしたらしいが、千姫は、夫秀頼を滅ぼした父徳川秀忠を恨んだ。

その後、傷心の千姫に縁談がきた。
縁談が来た、というとそれまでだが、私は大河ドラマ「江」のこのシーン、とてもよく覚えている。鈴木砂羽が演じる京極龍子(江のいとこ)は、秀頼の死以来ふさぎこんでいる千姫のことで江に相談され、「嫁に出してはどうか」と進言する(ウィキペディアより)。
「おとこで傷ついた心は、おとこでなおすのよ」
とドラマでそう言った、と思う(成田の記憶)。
再婚相手は桑名藩の本多忠刻。
「真田丸」の藤岡弘、が演じる本多忠勝の孫だ。

と言うわけで千姫は本多忠刻と再婚し桑名で暮らしたが、1617年、播磨(姫路)に領地替えになった。
この時大勢のひとが桑名から姫路に一緒に引っ越したらしい。
http://senjp.com/senhime/によれば千姫とともに馬500匹、お供850人だったらしい。
ところが夫の忠刻は姫路で亡くなってしまう。

後家となった千姫は1626年、江戸に移り住むことになった。
江戸には母の江もいるし父秀忠も健在だ。
弟家光が将軍になっている。

でも桑名から姫路についていった家来たち(馬500匹、お供850人)も江戸には連れて行くわけにはいかず、やむを得ず桑名に戻ることになり、もどったその町が「播磨」ではないか。

きっとそうだと思う。 誰かに教えてあげたい。

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