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自閉症、ASD等の発達障害解明の研究を行っています。

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関西空港はしかの拡大

2016年9月8日 成田正明

関西空港の従業員らの麻疹(はしか)の集団感染、さらに拡大し43人にまでなったという。早い静まりを願っています。

麻疹の感染力はすざましい。インフルの比ではない。すれ違っただけでもうつるという。
麻疹の予防はワクチンだが、ワクチンは打ったものの十分な免疫ができず拡大したものだ。
ワクチン、いまは1歳と就学前の2回接種だが、2006年までは1歳時1回のみであった。
1回接種ではその後抗体価は低下する。
最近は麻疹の野生株との接触もまれになっただけに、抗体価が低下したままの成人が多くなってきたのが今回の集団感染につながった。。

さて麻疹の診断に有用な所見に「コプリク斑」というのがある。
医学生でも常識中の常識だ。
「コプリク斑」は頬粘膜内側の白い班点で、タイミングよく探さないとすぐ消える。
これがあれば麻疹確定といえるので、なんとか自分の目で見つけたい。

20数年前の研修医のころ、「ちょっと前に麻疹患者に接触した」という子が来院し、口の中見たら「これか〜!」というコプリク斑を初めて自分の目で見つけ、興奮をぐっと抑えペンライトを消し舌圧子を「使用済み」にカチャッとしまい、低い声で
「ま、はしかでしょうね」
と言ったのを覚えている。

しかし麻疹発症はアメリカではもう医学教育に支障が出るくらいのレアさという。
当時はまだ麻疹患者そこそこいた。
修飾麻疹、異型麻疹、血小板が下がり紫斑がでる「むらさきはしか」など経験させて頂けた。
そのときベテランの病棟ナースや上司の先生が、「成田よ、はしかはちょっと前まで、『命定め』と言ってな、麻疹を乗りこえてはじめて生き延びたと言える」とか、祖父母たちが厚着をさせて風に当たらないようさせていたのも覚えている。因みに痘瘡は「見目定め」といったらしい。

いま江戸文化歴史検定(江戸検)の勉強をしていて、そのような言い伝えは江戸時代からあったらしいと知った。
金柑を食べるというのも聞いた。

江戸時代の麻疹流行は22−23年くらいだったらしくこれも庶民の謎だったようだ。
徳川綱吉の死因も麻疹(64歳)だったらしい。

医学は進歩しているが、昔のひとの知恵や健康でいられることを大事に思った気持ちを大切にしたい。

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