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自閉症、ASD等の発達障害解明の研究を行っています。

リニューアル!平成・令和 リレーブログ

大河ドラマでダイバーシティ

2021年10月21日 江藤みちる

NHK大河ドラマ「青天を衝け」を、最近になって見はじめました。
新一万円札の肖像となる「日本資本主義の父」渋沢栄一が主人公です。
埼玉県深谷市が出身地。中学高校を埼玉で過ごした私には郷土の偉人として馴染み深い人物です。
時代が大きく動く幕末から明治が舞台となっていますが、私が見始めたのは明治に入るあたりから。
ヨーロッパ視察で得た知見を、新政府の仕組み作りに導入していく様はすごいですね。
廃藩置県という大改革が、わずかな期間で全国の藩の財政状況を調べ上げて行われたり、
社会が目まぐるしく変わっていく明治初期の様子は見ていてとても面白いです。

このころの渋沢栄一は30歳前後。他の主要メンバーも30代が中心、
初代内閣総理大臣の伊藤博文が就任時の年齢44歳。
これだけの変革をもたらすのは、やはり若さとパワーが必要ということか。

前回は「富岡製糸場」操業開始が描かれました。
日本の産業近代化のさきがけとして作られた官営の製糸工場で、群馬県にある世界遺産です。
当初は「生き血を取られる」と噂が立ち(赤ワインが血に見えたらしい)工女が集まらなかったとか。
しかし多い時には500人が日本全国から集まり、学び、全国各地にその技術を持ち帰ったそうです。

富岡製糸場は、当時としては先進的な労働環境で、七曜制の導入と日曜休み、年末年始と夏期の10日ずつの休暇、
1日8時間程度の労働で、食費・寮費・医療費などは製糸場持ち、制服も貸与されたと。(Wikipediaより)
しかもフランス式の最新式の設備、近代的なレンガ造りの建物。女工たちも誇らしかったのではないでしょうか。

一方、「女工哀史」「あゝ野麦峠」では女工たちの過酷な労働が描かれますが、
富岡製糸場の経営が悪化し、民間に払い下げられたのちに労働環境が悪化した、
全国各地にできた製糸工場の労働環境が恵まれたものではなかった、等が理由とか。

当時、三重村(現四日市市)の三重製糸所、津市の関西製糸など、三重県も製糸業は盛んだったそうです。
関西製糸は初代社長が川喜田四郎兵衛です。川喜田家は、「東の魯山人、西の半泥子」の、川喜田半泥子で有名ですね。
その後、関西製糸は軍需工場になったのちに昭和20年の津の空襲で全焼してしまいました。

時代は令和に移り変わりました。
そういえば、三重大学の近くには倉敷紡績三重工場や江戸橋駅前のおぼろタオル(創業明治41年)があります。
近代日本を支えた繊維工業。
それを支えた女性たち。
そして仕組みを作ったのは新しい知見を持った若者たち。
イノベーションには化学反応が必要、つまりuniformityでなくdiversity。
あなたも、新しいコミュニティに飛び込んで、化学反応を起こしてみませんか。

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