橘南谿(たちばな・なんけい)シンポジウムが11月29日に津市久居総合福祉会館で開催されました。 会場は久居の東鷹跡(ひがしたかと)町にあります。 初代久居藩主、藤堂高通公が寛文10年(1670年)に陣屋と城下町を整備し、 西南の高台に御殿、その東側に広がる武家屋敷が現在の西鷹跡町、東鷹跡町となっています。 ここで鷹狩りをしたかどうかの記述は残っていないようですが、 津駅西口の偕楽公園は津城主の藤堂高虎の鷹狩をしたといわれていますから、 きっと久居のお殿様もどこかで鷹狩を楽しんだのではないでしょうか。
橘南谿は三重県津市久居出身の江戸時代後期の医学者であり、 医師でありながらも紀行家、文筆家、天文家などマルチな才能を持った人物でした。 しかし活躍の場は京都であったため、出身地である三重県民にはほとんど知られていないのが現状です。 そこで久居ふるさと郷土会の皆さんが調査、PRを進めており、 今回シンポジウムを開催する運びとなりました。 おかげさまで、老若男女、100人以上のお客様にお越しいただきました。
シンポジウムの中心は名張の医師の吉住完先生宅で見つかった「平次郎解剖図」。 その現物である巻物をすべて広げたもの、 当時の医学書としてよく知られた「解体新書」、その底本「ターヘル・アナトミア」など 皆様に本物をご覧いただき、その精巧さ、200年以上経ったと思えない色の鮮やかさに ご来場のお客様は驚かれていた様子でした。
基調講演では井ノ口岳彦先生が橘南谿の人物、功績をご紹介くださいました。 紀行文「東西遊記」は旅行ハンドブックとしては「奥のほそ道」に次ぐベストセラーであり 多くの著名人も読んでいた、というが、 現代人にほとんど知られていないというのが驚きであり、残念なことです。
シンポジウムでは、 「平次郎解剖図」の持ち主である吉住先生がなぜ代々伝わってきたのか不明ながらも考察され、 あわせて、吉住先生のおじいさまが毛筆写本された「実用解剖学(今田束 著)」のご紹介、展示もいただきました。 図のクオリティが素晴らしかったです。 人体を知ろうとする解剖学に対する思いが感じられます。
井ノ口先生からは、「平次郎解剖図」の序(はじめに)、跋(おわりに)、補遺小引(補足、はしがき) の解説をいただき、解剖のための準備や心構え、どんな人たちが関わったのか、 慰霊祭などの倫理的配慮もきちんとなされていたことが分かりました。
江藤からは現代の人体解剖を概説した後に、 「平次郎解剖図」の図と所見について、現代のアトラスと比較しながら解説させていただきました。 皆さんにご紹介したい内容が多かったため長時間になってしまいましたが、 あとから伺うとご好評をいただいたようです。
今回のシンポジウムをきっかけとして、 橘南谿の偉業がより多くの人々に知られることを願うとともに、 私も地元の偉人、橘南谿の医学への貢献について 引き続き発信を続けていきたいと思います。(江藤)
当日会場にて、研究室メンバーと(左から、研究室研修学生、江藤、成田教授、源口技能補佐員)
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