文章を書くには、文才が必要とよく言われるが、自動車の運転で例をとると、自動車レースのF-1のレーサーになるためには、天賦の才能が必要と考えられるが、買い物に行くためのドライブのために求められる自動車運転技術は、訓練することにより、だれもが習得することができる。つまり、後者は、単なる技術であり、技術は訓練によって鍛えることができる。
同様に、詩や小説のような芸術作品を書くためには天賦の才能が求められることは間違いないが、芸術作品とは異なり、報告のためのレポート・論文には、自己実現、コミュニケーションの媒体として価値がある。大学生にとって、日常の買い物のための運転技術と同様のもので、ということは、天賦の才能がなくとも、技術として、各人が努力・経験を重ねて、それを磨きあげていくことができる。
つまり、レポートの完成度は、レポート作成の経験量にある程度反映される。たくさん書くべきである。また、多数の論文著作などに積極的に触れ、目標にしたい文章の構成や修辞をまねた文章を書く練習も効果的である。そして、書いた物を的確に評価を受けて、さらに自分の技術を磨き上げるのである。