三重大学第一外科同門会ホームページのご挨拶(第3報)

同門会長 野口 孝(昭47卒)
社会保険診療報酬支払基金三重支部医療顧問、三重大学名誉教授

Welcome to our website(home page)!
同門会皆様並びに関係各位のご支援とご協力により、令和2年4月に念願のホームページが開設され、早くも2年余が経過しました。この間、新型コロナ感染にて多くの方が不幸の転帰をとられています。規制下での生活の変容により、以前の親睦会が懐かしい限りです。しかし、ホームページ開設にて、会員諸先生との情報交流は勿論のこと、医学生や初期研修医を中心とした皆様方が閲覧して、関係病院外科の様子や大学院生や教室員・関係病院スタッフの診療・教育・研究動向などから、肝胆膵・移植外科教室入局の契機になれば望外の喜びです。
さて、三重大学第一外科は、昭和18年12月、本学の前身三重県立医学専門学校開学と同時に宇田和雄初代教授就任がされ外科学講座創設、現在78年半経過。医学部入学者定員数の変遷や臓器別講座開設などで令和4年5月末で現会員220名(初期研修終了後入局)、県下関係病院や在宅診療など地域医療に貢献(県外現会員数20名)です。教室との連携と支援をしながら、同門会発展に大いに寄与できる内容の充実と共に、同門会規約(昭和59年1月発行)の目的「本会は教室の発展、会員相互の学識の向上並びに親睦をはかること」を一層強化すべく努力する所存です。皆様にはさらなる御指導と御鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます。

-令和4年6月吉日-

教室創設から現在までの講座名の変遷と同門会の名称 (表1)

表1 教室歴代教授と講座名の変遷、新規約に基づく同門会発足

西暦年・月 歴代教授 (現職など) 教授在職期間 講座名 臓器別分野ほか
1943年12月

1945年7月
宇田和雄教授
(開業後ご逝去)
1年10ヵ月 外科 一般外科
#教授数名でスタート
1948年1月

1976年3月
山本俊介教授
(三重大学名誉教授1993年ご逝去)
27年3ヵ月 第一外科 一般外科・消化器外科・脳神経外科
*1951年 三重外科集談会創立
*1968年 日本消化器外科学会発起人
*1969年1月 有志による同門懇親会開催
1976年9月

1994年3月
水本龍二教授
(三重大学名誉教授)
17年7ヵ月 第一外科 一般外科・消化器外科・
肝胆膵・門脈圧亢進症
*全関係病院を学会認定研修施設
*医学博士授与90名
1978年4月 脳神経外科講座独立
*1985年1月 新規約下で同門会総会・懇親会開催
1994年7月

2001年3月
川原田嘉文教授
(三重大学名誉教授)
6年9ヵ月 第一外科 一般外科・消化器外科
特に肝胆膵・門脈圧亢進
*チーフレジデント17名養成
2001年12月

2006年3月
上本伸二教授
(滋賀医科大学長)
4年4ヵ月 肝胆膵・乳腺外科 *生体肝移植医療導入
2005年4月 三重大学附属病院臓器別診療体制にて第一外科から肝胆膵・乳腺外科に変更
2007年12月

2019年3月
伊佐地秀司教授
(三重大学名誉教授)
2008年7月 乳腺センター開設(その後講座)
11年4ヵ月 肝胆膵・移植外科 *教授自身が同門会誌を電子書籍化
2010年10月 三重大病院臓器移植センター開設
2019年11月

現在に至る
水野修吾教授
(三重大学教授)
2年7ヵ月〜 肝胆膵・移植外科 *教授・教室幹部で同門会運営分担

終戦前の初代教授宇田和雄先生~第2代教授山本俊介先生(昭和51年3月退官)までの第一外科学講座は一般外科と消化器外科、さらに脳神経外科の領域を担当していましたが、第3代教授水本龍二先生就任の昭和51年9月から今までの一般外科と消化管外科に加えて、当時外科医が手を付けないほど予後不良な領域、特に肝胆膵疾患の悪性腫瘍や門脈圧亢進症の外科的治療を、形態と機能の両面から詳細に術前検討して積極的施行。その結果、第一外科が肝胆膵外科専門施設として全国的にも評価されてきました。
昭和53年4月に医学部脳神経外科学講座が分離独立し、今まで第一外科医局員として過ごした仲間から脳神経外科専攻医師が移動しました。
水本教授時代では肝胆膵疾患の病態に関連した実験的・臨床的研究も精力的になされ、欧米の脳死肝移植施設留学者派遣も行われて臨床の肝移植を視野に入れた準備が進展し、平成6年7月第4代川原田義文教授が受け継がれ、多くのチーフレジデントも育成されました。
平成13年12月第5代上本伸二教授は京都大学での生体肝移植医療を導入され、平成17年4月に三重大学病院臓器別診療体制により、第一外科の講座名が肝胆膵・乳腺外科と名称変更、これに伴い消化管外科と小児外科を第二外科学講座が担当となりました。
平成19年12月に第6代教授就任の伊佐地秀司先生は肝移植を積極的に継承し、平成22年4月には脳死肝移植施設に認定されたのを契機に10月には臓器移植センター開設、この1年9ヵ月前の平成20年7月に三重大学医学部附属病院乳腺センターが開設され、初代教授に水本教授時代に入局された小川朋子先生(平1卒)が就任、花村典子先生(平4卒)や女性外科医ら数名が移動。これを機に、当科は三重大学大学院医学系研究科肝胆膵・移植外科学と称することになりました。尚、教室の関係病院では一般外科や乳腺外科を含めて消化管外科全般と肝胆膵外科を行っており、地方会はじめ全国学会でも臨床報告や教室主催の研究会のほか、若手外科医の教育研修会も盛んに参加して情報交換を行っています。
さて、全国の外科教室における同門会名称は色々ですが、私たちは「三重大学第一外科同門会」が親しみやすく、この伝統ある名称を今後も掲げていきたいと存じます。(野口談・・・「1外同門会員って快い響き!」)

歴代の会長と事務局長 (表2)[令和4年6月1日現在]

表2 規約等整備後の第一外科同門会長・事務局長と就任期間

会長
(現在)
期間 事務局長
(現在)[期間]
水本龍二先生
(三重大学名誉教授)
昭和59年1月15日~平成6年3月31日

川原田嘉文先生
(三重大学名誉教授)
[昭和63年4月1日~平成元年1月14日]

野口 孝
(三重大学名誉教授)
[平成元年1月15日~平成14年1月20日]

横井一先生
(松阪市民病院緩和ケア医師)
[平成14年1月21日~平成18年3月31日]

櫻井洋至先生
(伊賀市立上野総合市民病院副院長)
(NPO法人MMC卒後臨床研修センター長)
[平成18年4月1日~令和3年6月13日]

岸和田昌之先生
(三重大学医学部附属病院災害対策推進・教育センター長)
[令和3年6月14日~現在に至る]

川原田嘉文先生
(三重大学名誉教授)
平成6年7月1日~平成10年1月14日
山際昭男先生
(山際外科院長)
(平成27年3月ご逝去)
平成10年1月15日~平成19年1月14日
吉田 壽先生
(吉田クリニック前理事長)
平成19年1月15日~平成26年1月14日
野口 孝
(社会保険診療報酬支払基金三重支部医療顧問)
(三重大学名誉教授)
平成26年1月15日~現在に至る

【会長】教授の業務内容・頻回の出張・学会/研究会主催などで、平成10年1月に会長兼任が解かれ同門会顧問就任(教授定年退職後は名誉顧問)、会長は教授以外の会員から選出(会長退任後、名誉会員として御指導頂く)
【事務局長】大学在職の同門会常任幹事(准教授または講師)が担当し、総会の司会と引き続いて行われる会員懇親会進行係としても重要な役割りを担当
【総会開催日(年1回)】平成11年までは1月15日(成人の日)、その後平成12年に制定のHappyMondayに、15年以降は概ね第4週日曜日に開催。翌年度の総会・懇親会の日程や会場は、その年の総会前に行う幹事会で検討して総会で決定

創刊号表紙29号表紙
図1 昭和60年3月末発刊の会誌創刊号と電子書籍化編集された伊佐地教授時代の29号

新規約に基づく正式な同門会発足により、昭和59年1月に初代会長として水本龍二教授(昭30卒)が就任され発展充実が進み、第2代会長の川原田嘉文教授(昭38卒)へと引き継がれました。教授業務が多岐にわたり、頻回の出張などから、同門会『あり方委員会』の度重なる討議の上、教授の同門会長兼任が解かれて同門会顧問として御指導頂くこととなりました。すなわち、平成10年1月15日同門会総会で山際昭男先生(昭29卒)が3代目会長に就任され、川原田教授退官までの3年間と上本伸二教授(昭56卒)時代の4年間、そして喜寿を迎えられ同門会でお祝いさせて頂いた翌年の平成19年1月に4代目会長吉田 壽先生(昭36卒)にバトンタッチとなりました。山際会長ご挨拶などでは毎度人生訓や文学の名文を披露されました。小生は公私とも大変お世話になり熱い叱咤激励が今も体に染みついています。第4代の吉田会長は、津医師会長をはじめ三医会や三重医学研究振興の名誉会長(吉田 壽記念三重医学研究振興会賞設立)など多くの要職を歴任される中で、同門会長の責務を遂行されました。津医師会看護専門学校の教育理念「和顔愛語」は、先生の吉田クリニックにもこの額が掲げられています。さらに、平成19年12月教室の第6代伊佐地秀司教授(昭54卒)や平成20年7月小川朋子乳腺外科教授(平1卒)の就任祝賀会、平成22年2月水本龍二名誉教授『瑞寶中綬章』受章祝賀会など同門会をリードされました。そして、吉田会長は平成26年1月同門会長退任後の秋の叙勲で『旭日双光章』を受章され、平成27年2月に津医師会と第一外科同門会共催の祝賀会が盛大に行われました(津医師会報「安の津医報621号」を御高覧下さい)。

 一方、同門会事務局長は、水本教授時代から川原田教授時代に病棟主任として奮闘した横井 一先生(昭53卒)が平成14年1月~18年3月末まで担当し、生体肝移植を実施された上本教授時代の肝移植コアスタッフとして活躍されました。後任の事務局長は、医学・看護学教育センター准教授で臨床研修・キャリア支援センター副部長(当時の部長は伊佐地教授)の櫻井洋至先生(昭63卒)が引き継ぎ、医学生の臨床実習指導や東南アジアでの肝移植担当も兼任して、令和3年6月13日までの15年2ヵ月の超長きにわたって現在の大学スタッフともチームを組み、多くの対応をとって同門会を支えて頂きました。常に、私と相談をしながらコロナ禍に突入しても一層大学幹部との意見交換を密にしながら、同門会専任事務の片寄恵子(旧姓久保田)さんと共に頑張って、令和3年6月13日付で教室准教授の岸和田昌之先生(平10卒)に事務局長を引き継ぎました。この場をお借りして、櫻井先生の真摯な対応とその貢献に衷心より感謝申し上げます。尚、岸和田先生は現在三重大学医学部附属病院災害対策推進・教育センター長として活躍中です。事務局長の業務も多岐にわたっており、令和3年7月から岸和田先生のから引き継いで教室准教授に昇任の栗山直久先生(平11卒)に副事務局長として協力頂くこととなりました。

同門会誌 (図1)

新規約のもとで開催された初の同門会総会・懇親会は昭和60年1月15日に三重県教育文化会館で行われ、その2ヵ月後の昭和60年3月31日創刊号発刊となりました。最近の働き方改革などで医師の重労働や女性医師にも注目した処遇問題改善が学会でも盛んに取り上げられており、大いに期待するところです。しかし、少なくともこの創刊号発刊の頃は、水本教授の陣頭指揮のもと当時の川原田助教授の鋭敏な臨床教育が相俟って、治療困難な肝胆膵疾患の臨床や研究、学会発表で医局医師は昼夜兼行で切磋琢磨することも多く、この様子を臨床実習(ポリクリ)などで垣間見る医学生には教室への入局を遠慮するのではと危惧しました。しかし、この領域に興味を持つ学生やone teamで診療に向かう教室の体制に魅かれて入局する学生が毎年あり、現在も大いに維持されています。入局医師~中堅医師が、同門諸先輩との交流を築くためには、関係病院勤務や地区医師会活動を契機としては勿論のこと、同門会総会・懇親会のみならず、同門会誌も重要な媒体になります。すなわち、同門会誌を介した大学、各関係病院、勤務医、開業医の諸先生方のご様子やニュースをお伝えすることを中心に創刊号が発刊された次第です。編集は、教授・助教授(准教授)の指導のもと、大学在職者が中心となり同門会誌作成が現在も継続して行われています。会誌の第1~5号は隔年、6号以降は毎年発刊で、第32号は令和4年の今秋発行予定です。図1上に提示する創刊号の表紙は、絵画をライフワークとされてみえた吉田洋一先生(新潟大学昭29卒、三重県立大学第一外科入局昭和33年)の作品で、創刊号~第5号を担当して頂きました。その風景は、塔世橋の三重県立大学医学部と附属病院が昭和49年に現在の江戸橋に国立移管で新築された施設の外観でして、色んな角度から描いて下さった貴重なものです。ここで会誌編集などに奮闘した会員各位に感謝申し上げると共に、ほぼ一貫して印刷担当の長谷川印刷様に深く御礼致します。

一方、図1下の表紙は、令和元年9月発刊29号で伊佐地教授時代の最終号です。平成19年12月に第6代教授として就任された伊佐地先生は、同門会誌のeBook(電子書籍)化をご自身が開拓創新して、第21号~29号の編集に尽力されました。すなわち、これまでの内容が同門会総会と懇親会、関係病院だよりが中心で、学会発表や発表論文などの業績は教室のみであったため、関係病院外科並びに小川教授の乳腺外科の業績やトピックス(心に残る症例・手術、学会発表・論文)を掲載するように改革、そしてご自身が編集・作成されると共に、教室員や関係病院派遣医師らと国際学会などで発表した時の観光地の写真なども同門会誌の表紙や随所に挿入するなど、心から敬意を表する次第です(図1)。教室のホームページでもご覧頂けますが、この度の同門会ホームページでは迅速に閲覧出来ます。従来通り会員・関係者各位には読み取り用のコンパクトディスク(CD-R)を、印刷本ご希望の先生には製本化してそれぞれ郵送致しております。また、教室に研究支援を賜っている会員や関係各位からの奨学寄付金でご支援を受けた研究は、この同門会誌教室業績の報告で誌上掲載させて頂いております。すでに、第30号・31号も晩秋に発刊させておりますが、30号では令和元年10月に三重大学医学部附属病院長就任の伊佐地秀司前教授(同門会名誉顧問)や同11月に第7代教授就任の水野修吾教授(平7卒)、令和2年4月に滋賀医科大新学長の上本伸二先生(名誉顧問)の動向などを掲載し、31号ではコロナ禍での総会開催をリモート会議にて開催した経緯などの他、東京オリンピックに向けて聖火リレー走者に選ばれた乳腺外科小川朋子先生(平1卒)が4月7日に三重会館前√23をバースデイランされたニュースの他、臼井正信藤田医科大学外科・緩和医療学講座教授就任(平4卒)と共にこの令和3年6月に日本消化器病学会東海支部例会を、11月には楠田 司伊勢日赤病院長(昭58卒)が東海外科学会をそれぞれコロナ禍の規制下で開催された報告、また外科医に極めて重要な手術記事(オペレコ)を会員の中でも特に模範となっている数名に記載して頂いております。32号は令和4年3月13日コロナ禍の規制下で対面での総会を実施し、久しぶりに会員集合写真を撮影したことなどを含めて、現在編集準備に鋭意励んで頂いています。

同門会の充実に向けて、プロジェクトチームの編成

教室の創設以来78年余経過の現在、その貴重な体験などを若手会員にも伝えて、温故知新によるcreationに繋がれば大変意義ある会員の親睦になると思います。そのため同門会誌は有意義な媒体であり、開設のホームページもより多くの情報を共有可能です。財務関係の再考をはじめ、同門会の課題を写真に示すプロジェクトチームで検討し実施していきます。教室で開催する各種研究会やセミナーの協賛と共に、若手外科医から中堅外科医の専門性を向上させるのに必要な支援を教室の方針に従って大いに支援します。記念事業(祝長寿:喜寿、米寿など、叙勲受章、厚生労働大臣賞など国からの表彰、大学・関係病院永年勤続など)や厚生福祉事業もプロジェクトチームで今まで以上に検討実施します。
下の写真は、令和2年2月に櫻井洋至事務局長(昭63卒)、教室の岸和田昌之准教授(平10卒)、栗山直久准教授(平11卒)・村田泰洋講師(平14卒)・種村彰洋講師(平14卒)の二講師とで各部門の詳細な検討とこれに従った実行を積極的に努める目的で、親睦会議を開催しました。伊佐地秀司前教授(昭54卒)の後を継いで令和元年11月1日教室新教授就任の水野修吾教授(平7卒)とは勿論連携を重視して努力する所存です。

写真 第一外科同門会の課題と対策教室幹部と徹底検討(令和2年2月18日)

櫻井洋至 准教授(事務局長)総会/懇親会担当・会長との連携

岸和田昌之 准教授(副事務局長)財務担当・現顧問との連携

栗山直久 准教授(幹事)若手外科医勧誘・育成担当

村田泰洋 講師(幹事)同門会誌担当

種村彰洋 講師(幹事)同門会ホームページ担当